海外生活がそろそろ2年に到達しそうな僕にやっと、どこへ行っても生きていけるな。と思える英語力が身についてきた。
これはここに来るまで数々の困難(英語面)に立ち向かい、挫折し、克服してきた結果だと思う。

そんな時にふと思ったのが
「そういえばカナダワーホリ失敗したっけ」
バンクーバー生活

セブ島でできた友達が何人かバンクーバーに行くとのことだったので、僕も彼らに合わせバンクーバーへ行くことを決意。
今思えばこの時点でダメだったんだろう。自分の意思ではなく人に合わせて目的地を決めるだなんて。
セブ島で基本の英語は学ぶことはできたが、あくまで授業内で使うものや英語ができないアジア人達と簡単なコミュニケーションが取れるくらいのもの。
知り合いのエージェントの方に相談すると、だったら初めはホームステイがいいんじゃないか。と勧められた。またも自分の意見はなく、言われるがままホームステイを選択した。
カナダ到着初日、そのエージェントの方に空港まで迎えに来てもらい、ホームステイ先に到着。かなり暖かい家族でとてもよくしてもらった。
今でも覚えているのがある日の夜、帰宅した時のこと。
に対して今日あった出来事をずらずらと話し続けていたことだ。How are you?以外にも聞き方あるんだ。とこの時初めて知った。
こういう日常会話はやはり語学学校では教わることはない(もしくは単に僕が覚えていなかった)ので、少し恥ずかしくもまあこれから覚えていこうとやる気に満ちていた。
そして最初の1週間では銀行口座を開設したり、携帯を契約したりとやらなければいけない作業をし仕事探しを始めた。
ホストファザーに履歴書を30枚くらいコピーしてもらい、特に作戦もなくローカルのレストラン、服屋などを主に20枚くらい配り歩いた。
返事が来たのはたった1つ、カナダのユニクロ「Old Navy」だった。
地獄の初面接

面接の日店に来てみるとほんとに驚いた。なんと集団面接だったのだ。海外初のバイトの面接が集団面接だなんて、もうやる前からやる気は奈落の底にあった。
なんせ相手は地元の高校生や主婦など英語に全く問題ない人たちのみ。さらに僕は服屋で働いた経験など全くない。
強いて言えば中学生の職業体験で、SPORTS DEPOに2日間お世話になったくらいだ。
面接の内容は
「お客さんに商品を選んで、それをなぜ勧めるのか説明せよ」
というもの。なんか海外らしいなと思いながら、僕はなんの変哲も無い白のスニーカーを選んだ。
商品を選ぶ時間が終わり、理由を発表。最初に選ばれたら死ぬなあと思っていると、違う人が選ばれた。順番に回っていき、ついに僕の番だ。
テンパりすぎた僕は
「この靴はポリエステル50%、綿30%….」
となぜか素材の説明をしていた。今でも全く意味がわからない。
もちろん結果は不採用。翌日に合否の連絡をすると言われていたのに、店を出て5分後くらいにかかってきたあたり、圧倒的不合格だったのだろう。そりゃ素材を紹介するやつはいるはずもない。
残金が8000円に
そんなこんなで履歴書を配ったり、友達と遊んだりしていると知らぬ間に1ヶ月が経っていた。ホームステイ先は1ヶ月契約だったため、ここでお別れ。
町中のルームシェアに引っ越した僕は気づいた。
「やばい、お金がない」
翌週の家賃を払ったら残金が8000円になるという大問題が発生。絶対に日本食ではバイトしない。と決めていたが、さすがに死んでしまうので、ラーメン屋で働いていた友達に頭を下げ入れてもらった。
そこで待っていたのは僕が1番嫌っていた、完全なる日本語環境だった。どうしてもそこの環境がストレスでたった4日で辞めると店長に伝えた。
ちなみにこの4日間で話した英語は1文字もない。
そこからはネットで求人をひたすら探して見つけたのが、日本人、ローカル半々の寿司屋兼居酒屋だった。
場所はバンクーバーから2時間ほど離れたスキーリゾート地「ウィスラー」。僕は速攻でバスを予約し友達に別れを告げ、ウィスラーへと旅立った。
引きこもりウィスラー生活

季節は冬。極上の雪を求めて世界各国からスキーヤー、スノーボーダーがやってくるウィスラーにて、ついに僕は働き始めた。
せっかくだしシーズンチケットを買おうと思ったが、なんとお値段15万円...8000円しかない僕は1日リフト券すら買うことができなかった。
気を取り直し頑張ってお金を貯めようと決意した僕に待っていたのは、またも日本語環境だった。
日本人とルームシェアをし、日本人と働いた。というのもローカルが働くのは夜のみで、夜のシフトはシーズンチケットを持っている人たちが優先だった。(午前中滑りに行くため)
お金がないから移動はできない、滑りにもいけない。こうなったらやることは1つ。
そう、勉強だ。
僕は仕事が終わると最低でも1日1時間は勉強した。今までろくに勉強したことがない僕にとって1時間はほんとに長い。ただやることがなさすぎてひたすらやった。
単語帳は毎日2ページ、そのあとはドラマや映画を英語字幕で見て、分からないところがあったらその都度止めて意味を調べた。
だからこの頃は映画を1本見るのに何日もかけ、できるだけ丁寧にやることを心がけていた。今思えばこの引きこもり時代のおかげでこの後全く勉強せずに生きていけているのかもしれない。
この生活を2ヶ月丸々続け、少しお金に余裕が出てきた。その後は週2でジムに通ったり何回かスノーボードを楽しんだ。
そしてさらに2ヶ月後、日本人が1人もいないローカルのレストランの面接に受かった。
念願のローカルジョブ、ここがカナダ生活のピークだっただろう。実際に働いたのは1ヶ月程度だが、この1ヶ月間は唯一心から楽しいと思えた。
渡航前の目標であった”英語環境で働く”ことが叶ったからだ。
そして元々の契約期間だった5ヶ月が経ち、移動することにした。ローカルの仕事ゲットしたのになぜなのか。
というのも住んでいたのが日本食レストランの寮だったため、住み続けるにはそこで働き続けなくてはならなかった。
日本語環境からどうしても抜け出したかった僕は、ここを離れるしかなかった。まあ単純に町に飽きたというのもあるが。
なにはともあれ次の目的地はバンフに決定。日本人観光客がとても多くツアーガイドなども募集していたが、長期のみの募集だったため、ホテルの求人に連絡をした。
Skypeで簡単な面接をし、無事合格。しかしこれが全てをぶち壊すことになるとは…
滞在期間1週間!?バンフの悲劇
バンフのホテルに到着。シェアメイトはカナダ人とイギリス人と日本人でかなりいい環境だった。
そして与えられた仕事はハウスキーパー。掃除が家事の中で断トツ嫌いな僕だったが、君は英語できるからすぐ※ハウスマンになれるよ。と言われ嫌々だがハウスキーパーとして働くことに。
※簡単にいうとハウスキーパーの1個上のポジション。お客さんの荷物の搬入などが主な仕事
ちなみにここの従業員はローカルのホテルにも関わらずほぼ日本人だった。そしてその環境のせいか、周りの日本人はほとんど英語を話すことができなかった。
どこの国でも一緒だが、やはり日本語の求人サイトを使うとこうなってしまう。英語環境を求めるのであれば、英語のサイトを使おう。

チップ強奪事件
そして仕事を適当にこなしながら1週間が経ち、事件は起きた。
仕事をしていると机の上に小銭が。それも結構な量。僕はそれをチップだと思い全て財布にしまった。
すると昼の休憩時間にボスから呼び出しが。
そりゃとりますよ。だってチップでしょ?
え…?これはやらかしたと思い謝った。めちゃくちゃ謝った。それでも止まらないボスの説教。
ちょっとさすがに耐えきれなくなったので
「I SAID SORRY!!!!!!!!」
とまあまあのボリュームで言ってしまった。
すると
突然の解雇通告。いや薄々感じていた。ここのホテルでは英語ができない日本人がいすぎて、日本人はものすごく見下されていた。
それに対して気分悪いなと思っていた僕は以前に何度か反論したりしていたからだ。
日本人はほぼロボットのような扱いで、何を言われてもYesと答える。それが僕には耐えれなかった。
若さが故に反発していたのもあったのかもしれない。今ならもっと冷静に対処できるだろうなと思う。
そんなことがあり僕は2日後には出て行かなくてはならないので荷物をまとめ、帰国のためのチケットをとった。
この時点で残り5ヶ月もビザの有効期限は残っていた。
しかしずっと日本人環境から抜け出せかったこの7ヶ月間。
持っていたビジョンとのギャップにもう僕は耐えれなかった。
帰国後
ウィスラー→バンフ間の移動の際にバンクーバーで遊んだり、友達とシアトルに旅行へ行ったりとまあまあな金額を使ってしまったのでバイトを始めた。
そこで当時学生だった彼女に会ったので、結果オーライっちゃ結果オーライか。
今なぜカナダで失敗したのかを考えると
「異様に日本人を避けていたから」
なのではないかと思う。
行く前に絶対に英語上手くなってやる。と意気込みすぎた。それが実際の生活とのギャップを生み、余計なストレスが溜まってしまった。
Working Holidayという名にもなっているくらいなのだから、力を抜いてもっと楽しむことに比重を置いていいんだ。
これから行く人はあまり期待しないこと、楽しむのを目的に行くこと。
今行き詰まっている人には一回リセットして、自分が楽しいと思うことを思いっきりやってほしい。

そうすれば僕みたいにストレスで潰れることはなくなるだろう。この記事が迷えるワーホリメーカーの助けに少しでもなりますように。
